ラバ ディエーナ(こんにちは)!

今日はバルト三国のひとつ、リトアニアの記事でございます。

バルト三国は2〜3日ずつの滞在であっという間に駆け抜けたけど、どの国も素敵な国だったな。空が青くて高くて、建物も綺麗だったし♡

でね、今日はそのリトアニアで訪れたとある場所のお話。

私は友達のブログで見て、なにここー!?ってその写真にびっくりして行くことを決めた。その時は何も知らずにただただその写真に映る特殊な世界観に驚いて、純粋に見てみたいなってただそれだけだった。

バスを降りて田舎道を進む。

少し歩くとその先に見えてきた。

あー!あそこだー!!

そう、ここ!
リトアニアの十字架の丘!!

十字架の丘は、リトアニア北部シャウレイの北12kmに位置する巡礼地。2001年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』の一つとして無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されているところ。

圧巻の数、なぜこんなにも十字架が置かれているのか。

これにはリトアニアの壮絶な歴史的背景がある。

十字架の丘の起源は17〜18世紀。当時ロシア帝国の支配下に入っていたリトアニア人が独立するために起こした蜂起の犠牲者を祀るために遺族が十字架を立てたのが始まりとされているそう。

その後第1時世界大戦が始まるとリトアニアはドイツの支配下に。1918年にドイツ帝国が崩壊しリトアニア共和国として再度独立をするけど、第2時世界大戦中の1940年、今度はソ連の侵攻を占領されてしまう。

さらに1941年にナチスドイツ軍の侵攻とホロコーストを受けドイツに占領されたのち、1944年再度ソ連による侵攻を受け、リトアニア・ソビエト社会主義共和国という形でソ連の統治下に入ることとなる。

この十字架の丘の規模が一気に増える原因となったのが1990年まで続いたソ連による統治だそう。ソ連体制による全体主義への抵抗を非暴力的に示すために、リトアニア人は十字架の丘へ十字架を立てるということを続けた。

十字架の丘はソ連によってブルドーザーで何度も破壊されたけど、十字架を立てるリトアニア人の数は増え続け、1990年に再度独立を果たす際には6万本弱の十字架が建てられていたそう。


その後はリトアニアはキリスト教国ということでキリストへの信仰の意味を込めて、また未来への願いや希望を込めて、そして亡くなった人を慰霊するためなど様々な思いを込めて十字架が備えられ現在では20万本以上の十字架が建てられているそう。

リトアニアの壮絶な歴史的背景がこのような場所を創ったのです。

強い強い祈りが込められた無数の十字架。

大自然とか、壮大な景色とかじゃないけど、ここはここで素晴らしい絶景です。

=十字架の丘への行き方=

シャウレイという町からローカルバスで約20分。
シャウレイまでは首都ヴィリニュスからバスで約3時間半。ヴィリニュスからの日帰りも可能だと思います!

十字架で埋め尽くされた絶景、みなさんもぜひ(≧∀≦)